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2015/08/16

8月16日メッセージ「高価な香油の惜しげもない注ぎかけ」

「すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。『何のために、香油をこんなにむだにしたのか。この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。』そうして、その女をきびしく責めた。すると、イエスは言われた。『そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。』」
マルコ14:4~7(1~9)

イエスはすでにバプテスマの際に聖霊の油注ぎを受けたメシヤ(キリスト:油注がれた者)であったが、ここで無名の婦人の手で高価な香油を注がれたのであった。この事件から以下のことを教えられる。

《真実の愛は浪費する》

国産のナルド油は、婦人のつぼで当時の労働者の年俸に匹敵する高価なもので、今の高級乗用車一台分の相当するほどの額だった。彼女をその油をイエスの頭に注ぎ尽くした。ただ主イエスへの深い感謝の思いを込めた行為であった。彼女が金持ちであったとしても大変な犠牲だ。イエスはそのようなもてなしに値しない方ではない。いや私たちのいのちや生涯をささげたとしても不十分な方だ。だが、そこにいた何人かが、彼女を非難した。高価なもてなしを受けているイエスへの当てこすりでもある。教会が高価なオルガンを購入したりすると、そんなお金があるなら困窮している人々に使う方が神の御旨に適うのでは、という議論は何時も起こる。だが、そう主張する人がどれほど貧しい人を愛して犠牲を払っているかは疑わしい。キリストへの奉仕は、浪費に見えようと断じて無駄ではない。

《真実の愛は用いられる》

この婦人の油注ぎを、主イエスは「埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。」(8節)と弁護してくださった。もちろん彼女は、イエスの十字架刑を明確に知っていたわけではない。不穏な周囲の動きに危機感を募らせ、深い感謝と愛をもって何とか主イエスを喜ばせようと、彼女の持っていた最も大事な宝を捧げ尽くそうとしたのであった。十字架の死から主イエスを守ろうとしたペテロは、「下がれ。サタン。」とイエスに強く叱られた(8:32~33)。しかし、「できることをした」彼女の行為を、主は葬りの用意と受け取って喜んでくださった。彼女は主の十字架の御業に奉仕したのである。

《真実の愛は美しい》

婦人の行為を「わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです」(6節)とイエスは評された。「りっぱ」は「美しい」をも意味する。美しい行為とは、私たちの救済のため十字架の苦難に向われる主イエスへの、深い感謝と愛を香油を注いで表明し、主を喜ばせた行為を指す。彼女の行為を、非難した人は、その時、主イエスがどんなに深い悲しみと苦悩の中におられ、また彼女の行為に慰められ喜ばれたかを、まったく感じていなかったのだろう。主イエスを愛し、すべてをささげて従おうと思う者はみな、彼のそばの貧しい者にどう仕えるべきかを承知しているはずだ。婦人の愛と献身の行為は、福音と一緒に麗しい事件として伝えられている。

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