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2015/08/09

8月9日メッセージ「目を覚ましている」

主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。
マルコ13:36~37(28~37)

《再臨の時》

戦争や地震、飢餓や異常な天災が相次ぐと、人は不安と恐怖にかられ世の終わりかと騒ぎ立てる。弟子たちが神殿の立派さに驚嘆し、それを信頼する心と同じだ。目に見える立派さ、世間の評価の上に生活している者には、それら見える世界の崩壊は恐怖と絶望をもたらす。だが地上の過ぎ行く物にではなく、私たちは「決して滅びることはありません」と言われたキリストのことばに信頼する(31節)。再臨の時が何年なのかはキリストも知らないと言われた(32節)。その時を算定したりする者がいるが、不要だから知らされていない。迫害、問題が続出する厳しい苦難が予告されている(5~25節)。だがそれらは喜ばしいキリストの再臨の前兆に過ぎない。赤ちゃんの誕生前に妊婦は激しい陣痛との戦いを経験するに似ているのかもしれない。艱難の時代にあっては、すべてが不幸で破滅的だが、それらはみなやがては過ぎて行くが、決して滅びることなく確固たるものは復活の主キリストのみことばだ(31節)。私たちはこれを誇りにする。

《眠り込む》

眠い時に目を覚ますことは容易ではない。眠りに陥ることは思考を停止し、悩まず楽だ。眠り込むとは、キリスト者としての自覚を忘れて、世間の流れに埋没して行動することであろう。周囲がこぞって右に向かう時、左に行くには勇気がいる。動かずに止まり続けるのも難しい。私の主キリストが、私に何を望んでおられるか、今自分が何をすべきか、キリスト者としての自覚を忘れたら、私たちは不信者の流れに巻き込まれて行く。それが、ここで警告されている眠り込むことだ。私たちは、キリストの証人として今生かされており、この地上の役割を終えれば天の御国に迎えられること等を承知している。今の目の前のことだけを考えている仲間の中にあって、その流れに乗って眠りに落ち込む誘惑に乗ってはならない。

《目を覚ましている》

私たちの主キリストの再臨を迎える身である。「これらのことが起こるのを見たら」(29節)とある「これらのこと」とは諸説あるが、終末の異常な事態ともとれるが、キリストの十字架と復活という救いの業の完成との理解が妥当とも思われる。とすると主イエスの昇天後となり、弟子たちも「人の子が戸口に近づいている」、間もなく再臨が到来するのでは、と期待しつつ生きていたことになる。目を覚ましているとは、主人の留守中に、玄関で帰りを待ち続けることではない。いつ帰って来られようと、主人が各自に託して行かれた職務を誠実に果たすことだ。私たちは主の再臨を待ち、天国に希望を抱く。だがその将来への期待と同時に、今託された使命に誠実に取り組む。将来の天の世界にあこがれつつ、この世に在っての委ねられている職責に専念する。これが来臨を待つ、私たちの姿でありたい。

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