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2015/08/30

8月30日メッセージ「裏切る者への憐れみ」

そして、みなが席に着いて、食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」
マルコ14:18(10~21)

《過越しの食事の用意》 

エジプトからの解放を記念する過越しの小羊は、神殿で屠られエルサレムの町で残らず食べるものとされていた。一頭の小羊を食べ尽くすには10数名の人数が必要だった。それで少人数の家族は一人暮らしの者や貧しい家族を誘って一緒にこの食事をし、エルサレムの住民たちは巡礼者たちに部屋を提供し、時には一緒に食して祝い合うという同じ信仰者たち同士の交わりをもった。
主はご自分が新しい過越しの小羊であることを示そうと、参拝者で溢れる町中に、10数人もが食事できる広さの部屋を確保しようと弟子二人を遣わした。そしてイエスの言われた通り、「わたしの客間」がすでに用意してあった。イエスはこれまで多くの人々から食事の招待を受けたが、今回は彼が場所を定め、食事を用意し、弟子たちを招待なさった。弟子たちは準備に出かけたが、主がすでにすべてを準備し、導き、道を開いて下さった。世の罪を取り除く過越しの小羊として、自分を私たちに与えくださったのである(22節、ヨハネ1:29、イザヤ53:5~7)。
 用意されたこの二階座敷は、最後の晩餐の部屋であるだけでなく、復活の主が弟子たちに顕れた部屋、牢獄から抜け出したペテロが戻った家でもある。懐かしい思い出の場所ともなった(ヨハネ20:19,26、使徒12:12)。

《裏切りの指摘》 

しかし良い思い出だけではない。主イエスは、その過越しの食卓で、「あなたがたのうちのひとりが裏切ります」と弟子たちに告げられた。もちろん、主はユダの裏切りを承知しておられるが、彼の名を出さず、「わたしといっしょに食事をしている者、わたしといっしょに同じ鉢にパンを浸している者」とだけ言われ、弟子たちには誰のことか判断できなかった。というよりも、弟子たちのそれぞれが、「それは私のことではないか」と不安に駆られたからに他ならない。
「裏切り」とは正確には「引き渡す」ことで(8:31、9:12,10:33)、神の計画が実施されることを意味する。神は御子を罪人の手に引き渡し、罪人は渡された御子をこの世の支配者に売り渡すという神の救済の業の進行を指している。だが弟子たちは、自分の中にある裏切りの傾向に気づき、それを指摘されたのだと思い込んで狼狽し、主から「お前は大丈夫だ」と保証を得たいため、かわるがわる尋ねた。
だが裏切りはユダだけでない。ペテロも他の弟子たちもみな、イエスを見捨てて逃げ去って行く。イエスは、「わたしといっしょに、同じ鉢にパンを浸している」(詩篇41:9、10)関係の信頼する友にも裏切られ、死に向かうと語られた。しかし「裏切るような人間はのろわれます」とは、決して怒りの捨て台詞ではない。信頼する者にも裏切られた痛切な悲しみと痛みの中で、裏切る者になおご自分の憐みの外に立つことを望まず、悔い改めを呼びかける言葉だ(参照ヨハネ21:15)。裏切る者とは私たち自身に他ならないことを覚えよう。

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