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2015/08/29

私たちは世に在って寄留者

彼女は男の子を産んだ。彼はその子をゲルショムと名づけた。「私は外国にいる寄留者だ。」と言ったからである。 出エジプト2:22
 モーセはエジプトの宮廷から追われて荒涼としたミデアンの地に逃れ、そこで妻を得、今また子を得た。ミデアンではエジプト人、エジプトではヘブル人と見られ、羊飼いとしての平凡な暮らしの中でも、息子にゲルショム(「そこでは寄留者」の意)と名付けた。 それは、「ここはいつまでもいるところではない。やがては本来の場所に移るのだ」との思いがあり続けたからだろう。私たちも、日本人でありながらキリスト者、この世にありながら国籍を天国に持つ身だ。 今置かれているところに最善を尽くすが、決して同化し埋没してしまってはならない。

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