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2015/09/06

9月6日メッセージ「少しも疑わずに信じる」

それから、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなその杯から飲んだ。イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。」
マルコ14:22~24(17~26)

《信仰による新しい契約》

過越しの食事では、家長が司式してその儀式の意味を説明しながら進める(出エジプト12:26)。イエスは主催者として弟子たちにパンを裂き、杯を与え、それを「わしのからだ、わたしの契約の血」と宣言された。
これまでの、律法を正しく実践するという契約(出エジプト24:3~8)を、人は誰ひとり守れず、神の怒りと死の審判を受けるほかなかった(ロマ3:23)。罪ある人間には、律法遵守を要求する契約の実践は不可能だ(エレミヤ13:23)。
だが、絶望するしかない人間のために、神は新しい契約を約束し、御子イエスを遣わして実現して下さった(エレミヤ31:31~33)。新しい契約は、律法遵守という人の努力を要求せず、御子の十字架による贖いを信じるだけで、すべての罪を赦されて神の祝福に与れるという、恵みの契約である(ロマ5:1~2)。

《イエスのからだと血による契約》

イエスはパンを裂き、弟子たちに与え、「これはわたしのからだです」と言われ、ご自分を死に渡すことを示されたのである。古い契約では、罪を犯した者に死を要求する。だが新しい契約では、私たちの受けるべき刑罰をイエスがご自分の身に引き受け、代わりにご自分の義と神の祝福を私たちに無償でお与えくださるのだ。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました・・・ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4:9~10)と、神の愛による恵みの提供である。イザヤも、神による贖いを預言した(53:4~5、54:7~10)が、もし彼が、主イエスの十字架の御業を目撃したとすれば、自分の預言が、御子の犠牲を通してのなんと豊かな恵みの提供であることか、驚いただろう。この新しい恵みの契約は、キリストの血の押印によって私たちに保障されている。

《罪深い者たちへの契約》

教会にとって最も大事な聖餐式の原型ともなったこの食卓に、「あなたがたはみな、つまずきます。」(27節)と言われた弟子たちもいた。イエスを裏切ったユダも排除されていない。模範的な立派な信仰者たちが招かれていたのではない。主イエスは、自分の都合次第で裏切るような弟子たちであることを承知の上で、祝福を祈り、ご自分の十字架の犠牲を意味するパンを、裂いて与えてくださった。いや、信仰者でありながらも、我が身可愛さに保身に走るような愚かで罪深い私たちだからこそ、このような無償の救いを必要とする。
この新しい契約の憐れみに入れられてはじめて、私たちは深い悔改めを経験し、感謝しつつ聖霊の扱いを受けて変えられて行く(Ⅰヨハネ3:1~3、Ⅱコリント5:17)。「いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」の心境で(ガラテヤ2:20)。

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