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2015/09/20

9月20日メッセージ「先立ちたもういのちの主」

イエスは、弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる』と書いてありますから。しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」
マルコ14:27、28(27~31)

 過ぎ越しの食事の後には115篇から118篇の詩篇を歌うのを常としていたので、この時もその中から賛美をささげたのだろう。それからエルサレムの町の東側にあるケデロンの谷を渡ってオリーブ山の中腹ゲッセマネに向かう途中、暗闇の道につまずきかねない中で、イエスは「つまずき」を予告された。

《人のもろさと罪深さ》

イエスは預言者ゼカリヤのことば(13:7)を引用し、もうすぐに羊飼いの自分が殺され、羊の弟子たち全員がイエスを捨てて離れて行くのだと言われた。つい先ほどイエスが、「これはわたしの契約の血です」と言われた契約をパンを食べ杯を飲んで結んだ「あなたがたはみな、つまずきます」(27節)と予告されたのである。「知らない」とは拒否を意味する(ルカ12:8、9)。
ユダを除いて、この時の弟子たちに、イエスを裏切る思いなど少しもない。しかし、イエスが「書いてありますから」(27節)と言われたように、弟子たちの不甲斐なさ、卑怯な罪深さが顕わにされることが神の計画にすでに記されていた。もちろん預言されていたので弟子たちが罪を犯したのではない。それらの罪をも、神はすでに承知しておられることを意味している。ペテロの主イエスに対する強く忠節の決意も、人の罪深さに勝つことは出来ず、イエスの予告の通りに卑怯な保身の思いの中に崩れてしまう(14:66〜72)。すでにこの時の、「たとい全部の者がつまずいても」(29節)というペテロのことばにも、他の連中とは違うという高ぶりの罪がある。「みなの者もそう言った」(31節)ともあり、全員く罪深い。

《そのための御子の死と復活》

イエスはここで弟子たちを非難し、その愚かさをなじっているのではない。利己的で、自力で何とか出来るのだと力んでも裏切ってしまう罪深く弱い存在であることを預言者は告げただけではなく、の回復をもすでに告げていた(ゼカリヤ13:9後半)。それをイエスは、「よみがえって、先にガリラヤで待っている」と言い換えられたのであった。実際にイエスは人に殺されるのだが、「わたしが羊飼いを打つ」という神の計画が実施され、裏切りに走る弟子たちのために、主は甦っていのちの祝福を与えようと、あの懐かしい故郷で待っておられるという。復活の主がカペナウムの湖畔で弟子たちにご自分を顕し関わってくださった時の情景を、ヨハネは印象深く詳細に記している(ヨハネ21章)。イエスの十字架の死と自分たちの罪に打ちひしがれ、絶望の中に沈んでいた弟子たちは、そこで復活のいのちと希望をいただいて立ち上がったのであった。イエスは常に先立ってくださる。ペテロは後日こう記している。「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」(Ⅰペテロ2:24、25)と。

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