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2015/09/25

不要な高ぶりを何時まで持ち続けようというのか

わざわいだ。パリサイ人。おまえたちは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛はなおざりにしています。 ルカ11:42
 当時の宗教面での指導者パリサイ人たちは、神殿へのささげものは人目を意識し量目正しく10分の一をささげていたのだろう。だが、肝心の神のみ旨に沿っての正義を実践や感謝と喜びをもって神と人とに仕える心を欠いていた。 その問題点をイエスに指摘されると、反省どころか、自分たちの面子をつぶされたと怒り出し、イエスを憎み非難して、何とか貶めるために、「彼らは、イエスの口から出ることに、言いがかりをつけようと、ひそかに計った。」(54節)とある。 私たちも、自分の問題点を注意されると逆上する傾向があり、それが正しい指摘であっても、素直に受け入れることが難しい。不要な高ぶりを自分は何時まで持ち続けようとしているのか。

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