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2015/10/25

10月25日メッセージ「思い込みの恐ろしさ」

そこでイエスは言われた。「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、神をけがすこのことばを聞いたのです。どう考えますか。」すると、彼らは全員で、イエスには死刑に当たる罪があると決めた。
マルコ14:61~64(53~65)

真夜中のゲッセマネの園で逮捕された主イエスは、ユダヤの法廷と議会を兼ねたサンヒドリンで正式の裁判で死刑の判決を下された。そのいきさつから学ぶ。

《祭司長、長老、律法学者たち》

イエスを裁いたのは、不信者や悪人たちではない。当時の社会を指導する立場にあって、宗教上の知識を有する敬虔な人々であった。しかし皮肉なことに、キリストを批判し、素朴な信仰を迷信として否定するのは、いつの時代でも立派な人たちだ。彼らは自分の考えと立場に自信があり、それを変えようとはせず、キリスト教信仰を否定する。「わたし(神)の道は、あなたがた(人間)の道と異なる」(イザヤ55:8、9)とあるが、自分の道を神の道に譲る謙遜さと決断が無くては、その知識が仇となる。そして、どんなに立派な業績と知識があっても、キリストとその教えを裁くほどの賢さと権威は誰にもない。
もちろん、彼らもメシヤを待望していた。ただ、彼らのメシヤは、圧倒的な神の力で全世界を従わせ、ユダヤに未曾有の繁栄という現世利益を提供してくれる方であった。イエスは、彼らの期待していた型のメシヤではないので拒否された。自分の願いことこそが絶対との思い込みは恐ろしい。自分の考えと違うとしても、神が私たちに提供されることは最良最善なはずだ。そう信じて神の方法に委ねよう。神を小さく見てはならない(Ⅰコリント1:25)。
イエスをメシヤに非ずと決めつけていたユダヤ議会は、彼の人気を恐れ、またねたんていた。それで裁判の体裁をとって、議会は公的にイエスに死刑を宣告した。

《イエスの証言》

裁判の間、終始沈黙のイエスに、大祭司は「ほむべき方の子、キリストか」(61節)と誘導質問をした。イエスは、「わたしは、それです」とはばかることなく明言され、やがて「人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです」(62節)と再臨時の栄光の姿をお告げになった。しかし、頭から不信に凝り固まっている大祭司たちは、この重大な真実の証言を虚言、冒涜の言葉としてしか聞くことが出来なかった。頑なな不信の罪は、人を真実を真実として判別し受け取ることが出来ない状況に落とす(4:12)。ただ砕かれた心の人(イザヤ57:15)、己の罪に悲しむ者こそが、この人の子となられ十字架の死を引き受けてくださる方を信じる恵みに与れる(マタイ5:4)。でもなぜ、冒涜罪に問われ死に至ることを承知で、ご自分の正体を明言されたのか不明だ。ただ、決して状況にひるまぬ勇気と究極の勝利を確信しておられ、真実さえも憎む相手を追い込む手段とするような人間への救いを提供しようと進まれたことは確かだ。そして今、神の右の座から立ち上がって、私たちを案じていてくださる(使徒7:56)。

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