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2015/11/15

11月15日メッセージ「私たちの王イエス」

そこで、ピラトはもう一度答えて、「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか。」と言った。すると彼らはまたも「十字架につけろ。」と叫んだ。 だが、ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪いことをしたというのか。」と言った。しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」と叫んだ。それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。
マルコ15:12~15(1~20)

 主イエスは私的に殺害されたのではなく、公式の裁判の手続きを踏んで、当時のユダヤの全議会(サンヒドリン)、ローマ帝国の総督による審判を経て処刑されたのである。どの福音書も、この裁判の経緯を丁寧に描いていることに注目して学ぼう。

《私たちがイエスを殺した》 

前章で、弟子たちが皆わが身可愛さに、師のイエスを置いて逃げ出し、ペテロものろいを誓ってイエスとの無関係を主張しイエスを見捨てたこと、そして神の民ユダヤの全議会サンヒドリンも体制の安泰と名誉保持のため、イエスに冒涜罪を着せて死刑の宣告を下したことを学んだ。次のローマの裁判では、古代社会で公正を謳われたローマ法の執行者である総督ピラトが、イエスの無実を承知しながら、自己保身のためにむち打ちと十字架刑の判決を下すのを見る(10、15節)。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。」(11:9節)と歓呼して歓迎した群衆が、今は一転して無節操にも「十字架につけろ。」とピラトを脅迫し、呪われた者として木につるせと迫っている(13、14節、申命記21:23)。当時の人々すべてが、イエスを死に追いやったのである。彼らを動かした自己保身、世間の評判、嫉妬、日和見、無責任で卑怯な付和雷同等の思いを、今の私たちも同じく抱えている。使徒信条の「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」とある告白されているピラトは、今の私たち各自を指し示す。私たちも彼らと同じく、イエスに死刑の判決を下す罪を持つ身だ(イザヤ53:5、使徒3:13~15)。

《イエスは我らの王として死なれた》 

全議会は、イエスを宗教上の罪では総督に取り上げてもらえないために、帝国に反逆する政治犯に仕立てて訴え出た。「ユダヤ人の王か」とピラトに問われた主は、「そのとおり」とお答えになり(2節)、「ユダヤ人の王」との罪状書きで処刑された(26節)。ピラトも祭司長たちも、群衆や弟子たちでさえ、イエスを王とは思っていない。しかし、彼こそが王ご自身であられる(マタイ2:2、27:18)。この王は、僕として人に仕えいのちを与える王であり(10:42~45)、私たちに一切を要求されるが(8:34、10:29、30)、ご自分の権威に固執なさらず、あらゆるものを捨て、愚弄され(16~20節)、十字架にさえその身を晒してくださった(ピリピ2:6~8)。この時も沈黙のまま人々の裁きに身を委ねておられた(イザヤ53:7)。否、その背後の、神の審判の手に委ねておられたのだ。主は、父の神が私たち人間の罪をご自分の上に乗せ、十字架刑の裁きをなさったことを受け止め、沈黙しておられたのである(Ⅱコリント5:21)。私たちは今、それを知っている者として、深い感謝と喜びを禁じ得ない。そして主への忠誠と献身を改めて誓い、仕える覚悟を新たにしよう。

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