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2015/11/08

11月8日メッセージ「私は知らない」

しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません。」と言った。
マルコ14:71(14:66~72)

議会では、イエスは神の御子メシヤなのかと大祭司に問われ、死罪となることを承知で、「わたしは、それです。」(62節)と明言し、民を救うために十字架に向われた。同じ頃ペテロは、自分の十字架を負えず、主との関係を否定したのであった。

《彼は火にあたっていた》
 
ペテロは、イエスについて行ったが、「遠くからあとをつけ」(54節)で、いつでもわが身の安全を確保できる距離を保ってである。早春時の夜明け前の中庭で判決を待つ間、「寒かったので、しもべたちや役人たちは、炭火をおこし、そこに立って暖まっていた。ペテロも彼らといっしょに、立って暖まっていた。」(ヨハネ18:18)とある。暖を求めるのは罪ではない。しかし、主を逮捕した者たちの焚火に暖を求めるとなると、それは誘惑に身を晒すことだ。イエスを嘲り無責任な噂話が飛び交う中での焚火の暖は、人の堅い決心をも崩し、キリストを否認するに至る。「心は熱しても肉体は弱い」(38節)ものだ。安易に危険な状況に身を置いてはならない。心をしっかり見守る必要がある(箴言4:23)。焚火の火は暖だけでなく、彼の姿を照らしていた。

《彼はイエスを否定した》

 ペテロは、何の危険のないピリポ・カイザリヤでは、「あなたはキリストです。」(8:29)と告白した。しかし、いのちの危険な事態になると、「あなたも、あのナザレ人、あのイエスといっしょにいましたね。」(67節)と女中に指摘されただけで、「何を言っているのか、わからない。見当もつかない。」(68節)と必至に誤魔化している。たぶん女中は、あんたもナザレ出のあの哀れな偽メシヤの仲間ではないのか、言ったに過ぎなかったのだろう。焚火の輪から離れて出口にいたペテロに、周囲の者たちにも「ナザレ人イエスの仲間だ。」と言われると、ペテロは、自分はイエスとは全く無関係で、そうでなければ呪われてもよいと誓った。ペテロのために十字架の死に向われる主を、彼はいのち惜しさに否定した。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(8:34)との教えに、程遠い私たちだ。

《彼はイエスに知られていた》 

イエスを知らないと否認し裏切った罪深いペテロを、イエスはすべて承知しておられた。そしてなお愛しておられた(30節)。だからこそ十字架に向われたのである。私たちは弱い。私たちの善意や決心はいつか崩れ行き、人の脆さや罪深さが露わになる。その時に至って、人は自分の救いのために死んで豊かな恵みの救いを準備してくださったことをはじめて有難く知る(イザヤ53:5)。鶏の鳴き声は、その罪深さを告げ、そのためのキリストの救いを教えてくれる(ルカ22:32)。己の罪に泣き、その自分を愛しておられるキリストの愛と救いに感謝し、大いに泣こう。ルカ22:61のイエスのまなざしは、すべてを承知した眼であり、豊かな憐れみに満ちたものであったに違いない。

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