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2015/12/06

12月6日メッセージ「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」

さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
マルコ15:33~34(33~41)


《全地が暗闇に》

主イエスは、朝9時に十字架につけられ、12時になると全地が暗闇に覆われ、死なれた3時にまで及んだ。太陽が中天にあって明るく輝くはずの真昼を、暗黒が覆い尽くす異常さは、何を意味するのか。イエスの究極の苦悩、父なる神の子を失う深い悲しみを暗示するのか。昔エジプトが、神に逆らってユダヤ人を苦しめ悩ましたため、神は彼らに「やみがエジプトの地の上に来て、やみにさわれるほどに」なさったとある((出エジプト10:21、23)。暗黒は、十字架の周囲の人々、祭司長、律法学者、パリサイ人、長老や民衆、王や総督も、そして弟子たちもみな等しく、キリストを信ぜず、憎み、嫉妬し、嘲り、裏切った諸々の罪と、その罪への神の怒りと呪いの厳しい審判を象徴して起こったものだ。そしてそれら一切の罪が、御子お一人の上に今乗せられようとしていた(Ⅱコリント5:21)。

《御子が見捨てられて》

「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」とイエスが大声で叫ばれた言葉は、詩篇22篇からの自由な引用で、イエスの苦悶の底からの深刻な叫びであった。主イエスはあくまでも父の神の御心に添って十字架に身を委ね、「もし十字架から降りてきたら信じよう。自分を救え。」と喚く群衆の声に抗し、自分を救わす、十字架から降りようともされない。そして、人類すべての罪をその一身に背負った御子を、神は激しい怒りとさばきを下し、呪いと死の滅びの中に投げ捨てようとなさったのである。御子が十字架につくことを命じたはずの神が、御子を全人類に下すべき刑罰を与えたのであった。しかし主は、ご自分を救わず、私たちの罪のすべてをその身に引受け、罪人として神の憎しみと怒りを受けて下さった(イザヤ53:5)。《神殿の幕が裂けて》主が息を引き取る前の言葉は「完了した」(ヨハネ19:30)で、御子の成すべき救いの業の完了を意味し、後は復活を待つだけだ。それは「神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」事件に現れた。大祭司が年に一度だけ入ることが許された至聖所の垂れ幕は、神と人との間を隔てていた(ヘブル9:3~7)。その幕が取り去られ、「イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです」(参照へブル10:19~20)。御子により、人は神との直接的な関係を持ち、礼拝が可能となった(ヨハネ4:23)。

《百卒丁と婦人たちが》

多くの人がイエスの十字架に立ち合っていたが、「この方はまことに神の子であった」と告白したのは、異邦人の百人隊長だけであった。多くの人の死に立ち合って来ただろう彼にとって、恨みや悪態また嘆きを口にせず、神を父と仰いで、苦悩と絶望の中で祈りつつ息絶えた姿は、神の子としか考えられなかったのだろう。この偉大な事件の側らに、婦人たちが最後まで見守り控えていたことを、聖書は記している(40、41節)。無為の存在に見えるが、彼女たちの存在の意義は大きい。教会はこのような人たちに支えられている。

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