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2016/01/10

1月10日メッセージ「イエスの葬り」

アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。 
15:43(41~47)

アリマタヤのヨセフがイエスの遺骸を墓に葬った次第を福音書すべてが記している。この葬りの大事さを学ぼう。

《主は葬られた》

 使徒信条にも、「主は・・・十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちよりよみがえり・・・」と、葬りを大切なこととして告白している。死なれた主は、葬られた墓で、陰府に下りまた復活の備えをなさっておられたのである。主は、十字架の上に無残な遺骸を晒したままて無為に過ごされ、見物人の前で復活のからだを取られたのではない。私たち誰もが死んで墓に葬られる。主イエスも同じく、神であられるのに墓に入られた。「主よ。あなたは土の中に横たわっておられる。そして大地をも聖なるものとしてくださった。私が埋葬されるとき、私のたましいはもはやそれを厭いません。大地はすべてあなたのものだからです。」との古い讃美歌にあるそうだ。墓もまたイエスが身を置かれたところ、私たちが葬られる時も主が共にそこにおられる。死の恐れも薄れる。
処刑された死体は、共同墓地に放置されるのが通例だ。富めるヨセフの墓に葬られた。これは、イザヤ書53章9節の「彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた」とのメシヤ預言の成就を教えている。

《ヨセフの行動と信仰》 

イエスが十字架上で息を引き取られたのが金曜の午後3時、3時間ほどもすれば日没で安息日が始まり、一切の作業が出来なくなる。律法では、死体を木に架けたままにしておくことを禁じている。このために、神はアリマタヤのヨセフを用いられた。彼は、ユダヤ最高法院サンヘドリンの裕福な議員で善良で品位のある人で、神の国を待望してイエスの弟子となっていた。だが周囲を恐れ、これまで隠して来た(ヨハネ19:38)。しかし、イエスの十字架上の姿を見ていたのだろう。一緒に十字架に架けられた強盗、処刑に立ち会った百人隊長に続き、ヨセフも大胆な信仰に押し出された。ヨセフは、急いでピラトにイエスの遺体の下げ渡しを願い出た。極刑に処せられた罪人の遺体引き渡しを願い出ることは、社会的な地位にある者にとって勇気を要する。しかしヨセフのような地位にある者だからこそ、総督の赦しを得ることが可能となり、墓を所有していたので葬りも出来たのである。彼はまだ、イエスがメシヤであることまで確信してはいなかっただろう。だが限られた時間の中で、彼は遺体を引き取り、亜麻布を購入して来て遺体を包み、自分のために誂えていただろう墓に葬るという諸作業を、限られた時間の中で懸命に続けている。
しかし、彼の登場は遅すぎた。サンヒドリンでのイエス断罪の会議でも、イエスを擁護し処刑反対を明言すべきだったが、彼は棄権したか欠席したのだろう。彼は良識ある公平な正義感の持ち主であったのだろうが、動かなかった。それは行動力の不足に起因するものではない。どんな状況にあっても、損得や周囲の評価に左右されず、キリストを告白しようとする信仰の弱さが問題だ。私たちはどうだろうか。

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