« 1月31日ニュース | トップページ | キリストの再臨は近い »

2016/02/01

パウロの心配

そういうわけで、私も、あれ以上はがまんができず、また誘惑者があなたがたを誘惑して、私たちの労苦がむだになるようなことがあってはいけないと思って、あなたがたの信仰を知るために、彼を遣わしたのです。 Ⅰテサロニケ3:5 
「もはやがまんができなくなり」(1節)と繰り返して記し、パウロは、迫害のために3週間足らずで離れざるを得なかったテサロニケの信徒たちの動向を案じて、弟子のテモテを遣わした心情を綴っている。それはまだ大人になりきっていない我が子をひとり置いて来た親のような思いだったのだろう。  そして、「どうか、私たちの父なる神であり、また私たちの主イエスである方ご自身が、私たちの道を開いて、あなたがたのところに行かせてくださいますように」(11節)と再会を願い、彼らの信仰の無事を祈り続けている。  それは天の主キリストの思いでもあろう。

|

« 1月31日ニュース | トップページ | キリストの再臨は近い »

今朝の聖句」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543924/63160715

この記事へのトラックバック一覧です: パウロの心配:

« 1月31日ニュース | トップページ | キリストの再臨は近い »