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2016/04/09

神とキリスト中心の信仰とその生き方を

彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。黙示録14:4
 キリストの救いに与かった聖徒たちは、終わりの日に「十四万四千人」の勝利者として主の名を賛美する群れの中に立つ(1節)。その特長は、まことの神だけに仕える霊的純潔と、「小羊が行く所にはどこにでもついて行く」従順な信仰の持ち主で、神に捧げられる初穂のような存在だとある。 自分中心の信仰とは真逆の、神とキリスト中心の信仰とその生き方が自分にあるのかを問われる。

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