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2016/05/30

わたしの民がひとりでも

「君主は、民の相続地を奪って彼らをその所有地から押しのけてはならない。彼は自分の所有地から自分の息子たちに相続地を与えなければならない。それは、わたしの民がひとりでも、その所有地から散らされないためである。」エゼキエル46:18
 絶対的な権力を誇示する専制君主の支配する時代の民に、回復された王国では、王はその権力を抑制して民に対応すると神は言われる。 それは「わたしの民がひとりでも、その所有地から散らされないため」の措置である。神ご自身が、私たちを「わたしの民」と呼び、私たちの立場が損なわれないようにと配慮してくださる。 細やかな保護の手の主に、信頼して従おう。

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