« アバ父の神 | トップページ | 7月3日メッセージ「負い目の許しを祈る        主の祈り(6)」 »

2016/07/02

愛されている者としての責任の自覚を

主はこう仰せられる。「エドムの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼が剣で自分の兄弟を追い、肉親の情をそこない、怒り続けていつまでも激しい怒りを保っていたからだ。わたしはテマンに火を送ろう。火はボツラの宮殿を焼き尽くす。」 アモス1:11~12
 ユダの寒村で羊飼いであったアモスは、繁栄に驕っている北イスラエル王国に悔い改めを迫る前に、先ずはイスラエルの周辺諸国に彼らの罪を指摘しそれぞれの刑罰を、リズミカルに宣告して行く。  抗争を繰り返して来た近隣諸国の自国への暴虐の罪の指摘と断罪の文言を聞くことは、気持ちよい。神が彼らを罰してくれるとは嬉しい限りだ。だがそのような神の愛を裏切っている自国の罪が、やがて指摘され、刑罰が宣告される。  愛されている私たち神の民の責任はそれなりに重い。

|

« アバ父の神 | トップページ | 7月3日メッセージ「負い目の許しを祈る        主の祈り(6)」 »

今朝の聖句」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543924/63867185

この記事へのトラックバック一覧です: 愛されている者としての責任の自覚を:

« アバ父の神 | トップページ | 7月3日メッセージ「負い目の許しを祈る        主の祈り(6)」 »