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2016/08/05

神の前には助けの道が開かれている

ヨシュアは、よごれた服を着て、御使いの前に立っていた。 ゼカリヤ3:3
 サタンは、民を代表する大祭司ヨシュアを訴え、「よごれた服」に象徴される民の数々の罪を神に指摘し、そのさばきを要求した。だが神はサタンに言われた。「エルサレムを選んだ主が、おまえをとがめている。これは、火から取り出した燃えさしではないか」(2節)と。つまり、「かまどの中でもうすぐ燃え上がろうとしている一本のマキのような状態にあったユダの民を、神は憐れんで急いで取り出した。だから焼け焦げがあり煤だらけの哀れな状態は当然だ。それをアレコレ言うサタンよ、お前を咎める」と応じてくださった。  そしてキリストを暗示する御使いは、ヨシュアのよごれた服を脱がせ、「見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう」(4節)と義の衣を着せてくださった。放蕩息子のように悪臭放つぼろ服のままでも、悔い改めて神の前に立ち帰るなら、憐れみに富む神は決して見捨てることはなさらない。  汚れた服しかなくても、神は悔い改める者を迎え入れてくださる。

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